諏訪大社の御柱祭(おんばしらまつり)は御柱大祭(みはしらたいさい)とも呼ばれ、数え年で7年に1度、寅と申の年に信州(長野県)の諏訪地方一円を挙げて行われ、俗に天下の大祭とか、富士吉田の火祭りや静岡県島田市の帯まつりと並び天下の三大奇祭などと呼ばれ、雄壮な木落としなどで全国的に知られているお祭りです。
ちなみに、正式名称に定説がないこのお祭りの事を諏訪大社は公式な場などでは「式年造営御柱大祭(しきねんぞうえいみはしらたいさい)」と呼んでいます。多くの場合、「御柱祭り」ではなく「御柱祭」と表記されています。また「おんばしらまつり」ではなく「おんばしらさい」と呼ばれる場合もあります。…と書いてきたのはもう10年以上前。今は「おんばしらさい」と呼ぶのが完全に主流になっているようです。
お祭りは大きく2つに分かれていて、4月の上旬に行われる前半を山出し祭(平成10年の場合、上社4月3,4,5日、下社4月10,11,12日)、1ヶ月後の5月の上旬に行われるのを里曵き祭(平成10年の場合、上社5月3,4,5日、下社5月9,10,11日)と呼んでいます。それらが上社と下社においてそれぞれ3日づつ行われるので、祭りの本番だけで合計では12日間行われることになります。
御柱とは直径約1メートル、長さ約16メートル、重さは約12トンもある樅(もみ)の大木の事です。このお祭り、何をやるかと言えば、この樅の文字通りの大木を奥山から延々と里の四つの諏訪大社のお社まで引き付け、社殿の四隅に建てるというものです。
通例、上社は八ヶ岳山麓の諏訪大社の社有林である御小山(おこやさん)から伐採された樅の木が、下社は下諏訪町の東俣国有林から伐採された樅の木が御柱となります。
平成10年のお祭りでは伊勢湾台風の影響で今回の御柱に適した樅の木が御小山にないということで、史上初めて東俣(ひがしまた)国有林で伐採された樅の木がトラックを使って御小山まで運ばれ、御柱となりました。
この祭りの起源は大変古く、一体いつから行われているのかは定かではありませんが、諏訪大明神畫詞(すわだいみょうじんえことば)という書物によると今からおよそ1200年前の延暦20年の蝦夷征討の時の戦功に報いる形で時の桓武天皇が延暦23(804)年、信濃の国(今の長野県)の国祭として費用を信濃の国全体で負担するようにと国司に命じたとされているのが記録に残っている最古のものです。桓武天皇が命じた信濃国全体での負担ですが、伊那谷と佐久平そして善光寺平が上社、松本平と南北安曇野及び更埴が下社をそれぞれ負担したとのことです。ちなみに、平成10(1998)年、戊寅年(つちのえとらどし)のお祭りは桓武天皇が国祭としてから丁度200回目と言われています。
式年遷宮ということで、中世までは御柱祭の際には鳥居などを含めてすべての社殿が建て替えられていたとされていますが、江戸時代以降は4本の御柱と東西の御宝殿が交互に立て替えられるだけになりました。
また、明治までは御宝殿は建てられた後、六年間清められてから奉るようになっていましたが、明治以降は建てられてすぐ遷座されるようになりました。現在は御柱祭も終わった6月15日に遷座祭が行われています。
明治5(1902)年に酒とケンカの御柱祭となってしまい、その後そのような事が起らないようにと細かな取決めがなされるようになりました。
御柱祭は大変歴史があるお祭りでありながら、平成10年のお祭りで「諏訪大社の御柱祭(おんばしらまつり)」として「長野県の無形民族文化財」に指定されるまで、文化財の指定は一切受けていませんでした。それは、このお祭りを全国的に有名にした木落としなどかなりの危険を伴うお祭りのため、平成四年のお祭りまで五度連続死者がでるなどしていたためとされています。しかし、平成10(1998)年に長野で行われた冬期オリンピックの開会式で全世界に建て御柱(たておんばしら)を披露することになったので、やむなく指定されました。
長い歴史の中には開催が危ぶまれる事もありました。伊勢神宮の20年に1度の遷宮が120年に渡って絶える事になった戦国時代、江戸時代の天保の大飢饉、若い男のほとんどが戦地へと赴いてしまった第2次世界大戦中の昭和19年など。しかし、記録上寅と申の年に諏訪の地で御柱祭が行われなかったという記録は残っていません。いえ、苦しい時ほどでかい御柱を曳行したものです。昭和19年には学童を動員して年寄りが指揮を取り無事にお祭りをやり遂げたと言われています。
諏訪大社の御柱祭だけでは終らないのが、諏訪の御柱のすごいところ。御柱の年である寅と申の年は諏訪一円のあらゆる小宮でもそれぞれの地区や団体ごとに御柱祭が行われるのです。中には「大社には胸を貸しだけ。本当のお祭りは小宮の方だ」という人もいるほどです。
ところで、この御柱祭、実は何の為に行われているのか今となては誰も知らないんです。なにしろ、諏訪大社自身がなぜこのお祭りが始まったのかはわからないそうです。そこで、様々な説が唱えられています。
平成19(2007)年3月26日に上社本宮斎館で諏訪大社大総代会総会が開かれ次回平成22(2010)年庚寅(かのえとら)御柱祭の下社御柱御用材の仮見立てを5月12日に行う事を決めました。場所は下諏訪町の東俣国有林。前回の伐採地より若干上方になる見込み。当日の日程は後日となりますが、慣例に従い東俣の斧立(よぎたて)社に参拝後、春宮一之御柱をまず確認し、その後は近くの物から順番に確認します。確認については平成18年6月20日に関係者で行った下見に基づきます。約70人が所属する下諏訪町木遣り保存会は仮見立てを前に2月から週1回のペースで練習を重ねている。
平成19(2007)年4月上旬に秋宮境内を訪れると次回平成22年庚寅年御柱大祭の際の御宝殿造営の用材が置いてあり、更なる寄進を願う立て札がありました。御柱祭はその正式名称を式年造営御柱大祭というように、御柱の曳行と建立だけではなく、御宝殿の造営も大きな意味があります。御宝殿とは弊拝殿の奥にある建物で左右同じ形をした物が2棟あります。御柱はまさにこの御宝殿を取り囲む様に4角に建てられているのです。この御宝殿は御柱年毎に交互に立て替えられるのが本来なのです。その後、御頭祭の4月15日に上社本宮を訪れると、秋宮と同じように次回御柱祭の際の御宝殿造営の用材が置いてあり、更なる寄進を願う立て札がありました。ちなみに、本宮の御宝殿は弊拝殿の脇、布橋沿いに並んであるので、下社の奥まった感じとは違い、目の前で御宝殿を見ることが出来ます。
平成19(2007)年5月12日(日)に平成22(2010)年庚寅(かのえとら)年の諏訪大社式年造営御柱大祭に向けた下社御柱用材仮見立てが下諏訪町の東俣国有林で行われ、秋宮と春宮に曳き建てる8本の御柱の候補木が決定。諏訪大社の神職や大総代を始め、300人とも600人とも言われる氏子が参加した。従来御柱には曲がりや傷などが少ない大木が選ばれてきたが、今回は諏訪大社の平林成元宮司(66)の挨拶において資源は有効であり見かけに難があってもと言われた通り、秋宮四之御柱の候補木は落雷で頂部が欠け、また根本で分かれている木も候補木となった。
下社の仮見立てでは諏訪大社の平林成元宮司が参加の氏子に量り諮り、御柱の候補木が決められる。 春宮一之御柱候補木は目通り3.30m、高さ約21m。伐採担当は下諏訪町第1区。 秋宮四之御柱候補木は目通り2.54m、高さ約15m。 春宮四之御柱候補木は目通り2.30m、高さ約20m。多少曲がりがある。伐採担当は下諏訪町第10区。 秋宮一之御柱候補木は目通り3.30m、高さ約22m。少し曲がり。今回の最大木。伐採担当は下諏訪町第7,8,9区。 春宮三之御柱候補木は目通り2.57m、高さ約21m。若干曲がり。伐採担当は下諏訪町第3区。 春宮二之御柱候補木は目通り2.70m、高さ約17m。三股に分かれている。伐採担当は下諏訪町第6区。 秋宮三之御柱候補木は目通り2.67m、高さ約16m。上部が二股になっている。伐採担当は下諏訪町第4区。 秋宮二之御柱候補木は目通り2.80m、高さ約17m。根本が二股。伐採担当は下諏訪町第2区。 奥山の大木、里に下りて神となる。山の神様、お願いだ。 浄財を尊ぶ。自然を大切にする。 曲がりがあるということで、思い出されるのは前々回の春宮一之御柱、その木落しである。山の神様からの授かり物に対して真っ直ぐな取り組みが求められる。
平成20(2008)年3月19日に諏訪大社大総代会が本宮の参集殿で行われ、次回2010年の上社御柱祭の御柱用材について2004年と同様に北佐久郡立科町内の山林を調達の候補地とする方向を確認。
平成20年4月吉日付けで諏訪大社宮司平林成元氏より平成22年諏訪大社式年造営御柱大祭に向け旧慣による下社御柱御用材本見立ての儀の案内が関係各所へ送られました。平成20年5月11日の日曜日の午前6時に秋宮を出発。斧立社を巡察後、東俣国有林内にて見立てを行うとのこと。
平成20(2008)年9月19日に平成22(2010)年庚寅(かのえとら)年諏訪大社式年造営御柱大祭に向けた上社の御柱用材の仮見立てが北佐久郡立科町の蓼科山国有林内で行われました。上社の御柱用材は前々回が下諏訪の東俣国有林、前回が立科町有林内に続き3回連続。東信森林管理署管内からは初めてのこと。今回の参加者は自然環境保全地域ということで人数制限がなされ、担当8地区毎に100人以内、他関係者合わせ約900人。目通り3.25mの本宮一から順番に8本の候補木を選んだ。本見立ては2009年6月19日を予定。仮見立てが行われたの順に目通り周囲は次の通り。本一は3.25m、本二は2.75m、前三は2.45m、前二は2.59m、前四は2.38m、本四は2.45m、前一は2.80m、本三は2.45m。
平成20(2008)年12月4日に行われた諏訪大社の大総代で平成22(2010)年に行われる御柱祭の日程が決定承認され、発表されました。山出しは上社が4月2日から4日まで、下社が4月9日から11日まで。里曳きは上社が5月2日から4日まで、下社が5月8日から10日まで。また上社の伐採を平成22年の3月11日に行う事も合わせて決定。
信濃國一乃宮・諏訪大社 平成二十二年 式年造営御柱大祭 四月 山出し祭 ・ 五月 里曳き祭 上社 02 03 04 ・ 02 03 04 下社 09 10 11 ・ 08 09 10
2009年3月20日から諏訪大社上社本宮の西宝殿の解体工事が始まる。今回解体される西宝殿は2006年7月の豪雨災害の土石流により押し流された岡谷市湊3にある船魂社の本殿として移築される。5月10日には上棟式を行う予定。新しい西宝殿は2010年に着工し6月上旬に竣工式を行い、6月15日には遷座祭が行われる。
平成4(1992)年・壬申の年と平成10(1998)年・戊寅の年の大きな違いは木落としであると思います。前者はそのほとんどが一回で下まで下りましたが、後者は一本を除きすべて坂の途中で一度止まってしまいました。それを受けて、2004年と2005年に下社木落とし坂は改修工事が行われています。前回のお祭でほとんどの柱が止まってしまった部分約800平方メートルに土を入れ、直線的にし、柱がスムーズに下まで下るようにしました。また坂の両側に階段を設置しています。
2009年4月23日に諏訪地方観光連盟プロモーション戦略局御柱部会が下諏訪町役場で部会を開き、公式ポスターのデザインを決定。前回の上社建て御柱と下社木落の写真を使う。前回の3種類から今回は1種類とし、A1判を1500枚作成する予定。合わせてA4判24ページのパンフレットは150,000部の作成を予定。
平成21(2009)年5月3日、翌年に迫った式年造営御柱大祭に向け下社の御柱用材伐採が下諏訪町の東俣国有林で行われた。下諏訪町各地区伐採委員会を中心に氏子が参加した。午前7時頃に関係者が斧立(よきたて)社で神事を行ってから、入山。午前9時頃から各柱で斧入れの儀が行われてから、伐採作業が始まった。秋宮四乃御柱は倒れた際に折れた為、後日切り直しとなった。なお、大正初期の抽選で決まっている各御柱の伐採担当は、春宮一が第1区、春宮二が第6区、春宮三が第3区、春宮四が第10区、秋宮一が第7,8,9区、秋宮二が第2区、秋宮三が第4区、秋宮四が第5区となっている。各御柱の目通りは春宮一が303センチ、春宮二が270センチ、春宮三が257センチ、春宮四が230センチ、秋宮一が330センチ、秋宮二が280センチ、秋宮三が267センチ、秋宮四が254センチ。かなりの自重がある大木の伐採ですから、8本が8本とも問題なくというのはなかなか難しい物です。前回は春一、前々回では秋三が切り直しとなっています。面白いことに報道によって参加した氏子の人数が異なっています。地元紙で850人、全国紙地方版で1500人。地元紙は諏訪大社の発表をベースとしている模様。
5月6日にA4タイプのパンフレット裏表版を入手しました。表側は光り輝く空に向かって建つ御柱と御柱祭の文字を中心に右下は上社の建て御柱、左下には下社の木落しの写真を載せ、その上に上社と下社それぞれの日程を記しています。裏側は御柱祭と諏訪大社の概略説明、日程の概略説明、そして諏訪への地図が掲載されています。
平成21(2009)年5月17日に原村中央公民館において御柱宣伝大使の公開コンテストが諏訪地方観光連盟によって行われ、諏訪6市町村の21歳から52歳までの19人の応募の中から3人が選ばれました。選ばれたのは岡谷市川岸の日岐真理子さん(22)、諏訪市豊田の武井美緒さん(23)、茅野市豊平の山田仁衣奈さん(23)の3人。5月24日の高島城祭でのデビュー後、30日と31日に横浜市で行われる観光展に参加する。任期は2011年3月まで。
平成21(2009)年5月20日に諏訪大社は下社木落とし坂頂上付近の一部改修工事を行うにあたっての安全祈願を実施。坂の手前の平坦部に布いた長さ約4メートル、直径約15センチの丸太24本を撤去する。
平成21(2009)年5月25日に下諏訪町の東俣国有林で秋宮四乃御柱の本見立てが行われました。選ばれた樅の木は目通り周囲240cm、長さ27メートル。6月11日に下諏訪町第5区の奉仕により伐採される予定。
平成21(2009)年5月27日に金山講と薙鎌の会が諏訪大社上社本宮に8体の薙鎌を奉納しました。これは6月19日に行われる上社御柱用材本見立てで決定した御柱用材に打ち込まれます。1990年に見つかった明治17(1884)年の原寸図を元に製作した銅製で長さは約31センチメートル。今回奉納された8本以外に31本も別途奉納され、分社の御神体などになる。
伐採作業について。奥山の大木里に下りて神となる。神事に続いて関係者によるよき入れが行われ、それが終わるといよいよ本格的な伐採作業の開始です。倒す方向にに受け口を作ります。これはのこぎりを使い下刃を作り、その下刃を底辺として、よきを使って三角形を作ります。受け口が完成すると次は追い口作りです。受け口と反対方向にのこぎりを使い切り込みを入れていき、その切り込みへ、掛け矢そして袋矢を入れ込んでいき、倒します。今年中に業者により仮搬出が行われ、東俣大平の棚木場に並べられる。当然旧来はこの仮搬出も氏子の奉仕により行われていましたが、下社の場合、大正15年からは業者によるものとなっています。
平成21(2009)年6月11日に富士見町商工会は翌年の御柱祭に向けた町内統一はっぴのデザインを決定。青色を基調にした4色で太陽と富士山、スズランの花と曳き綱を描く。
平成21(2009)年6月15日に諏訪地方観光連盟の御柱祭情報センターによるウェブサイトが来年に迫った次回のお祭に向けリニューアル。御柱祭情報センターは諏訪地方観光連盟が4月に下諏訪町役場に開設。御柱祭の情報を1箇所に集め、発信していくことを目的に設置されています。本祭はPRするけど、これはいっぱいいっぱいと考えている。御柱を機にいかに諏訪に来てもらうのか。そう考えると重要なのは小宮祭。選ばれる観光地としてお客さんに帰ってきてもらう取組を目指す。
平成21(2009)年6月13日から15日にかけ諏訪地方観光連盟が旧東洋バルヴ諏訪工場跡地に準備している御柱体験ひろばに用意する体験御柱の伐採、搬入、皮むきが行われる。秋葉山の習焼神社社有林から伐採された柱は上社用が長さ14.3メートル、目通り周囲3.25メートル、下社用が長さ15.25メートル、目通り周囲3.0メートル、体験用が長さ10.2メートル、目通り周囲1.9メートル。それぞれメドデコ、御幣というそれぞれの特徴を明確化する。オープンは7月12日を予定。
平成21(2009)年6月11日に秋宮四之御柱の再伐採が下諏訪町第5区の奉仕によって氏子ら約120名が参加し東俣国有林で行われました。伐採された御柱は目通り周囲2.4m、高さ27m。倒れる際に方向が想定より右側に90度程ずれ、2名が転倒するなどで足首と手にそれぞれ軽い怪我をしたとのこと。
平成21(2009)年6月19日に上社の本見立てが北佐久郡立科町の蓼科山国有林で7本及び町有林1本で行われました。諏訪大社の神職や氏子など800人から900人が参加。本宮一之御柱候補木から順番に木札を取付、薙鎌を打ち付けていきました。御柱用材の諏訪地方以外からの調達は江戸時代以降では前回に続く2回目。御小山以外からの伐採は3回連続。伐採は抽籤後の翌年3月11日の予定。
上社の本見立ては集合した後、まずは諏訪大社の平林成元宮司が挨拶し、その後、森の中を一列に進み、本宮一之御柱から順番に定めていきました。それぞれの柱の前で平林宮司が氏子に問いかけ、その賛同を受けて、木札を巻き付け、その上に平林宮司が薙鎌を打ち込みました。選ばれた柱の目通り周囲はは、選んだ順に本一が336cm、本二が275cm、前三が245cm、前二が257cm、前四が233cm、本四が244cm、前一が244cm、最後の本三が245cm。
平成21(2009)年7月12日に諏訪地方観光連盟による御柱体験広場のオープニングセレモニーが旧東洋バルヴ諏訪工場跡地で関係者等約300人が参加して行われました。
平成21(2009)年7月18日から全3日間に渡り開催された御神木見学会は諏訪大社上社御柱祭安全対策実行委員会が許可などを取り実施され、初日の約800人を含み、全体で約2400人が参加しました。
平成21(2009)年8月3日の午後7時から下諏訪町総合文化センター小ホールで茅野市在住のシンガーソングライター美咲さんの新曲「御柱」の掛け声などの公開録音が行われました。下諏訪町木遣り保存会、青木下諏訪町長などが参加。林顧問の木遣り。この曲は下諏訪町木遣り保存会の小林茂雄さんが作詞し、新聞などで作曲を募集したところ、美咲さんが手を上げていた物。8月16日に秋宮で奉納演奏の予定。
平成21(2009)年8月5日に岡谷市御柱祭祭典委員会の設立総会が開かれた。会長に今井竜五市長、委員長に諏訪大社大総代の宮坂隆平氏を選任。
平成21(2009)年8月16日の午後4時半頃にシンガーソングライターの美咲さんと下諏訪町木遣り保存会の2名によるみんなの曲「御柱」の奉納演奏が行われました。
平成21(2009)年8月30日に北安曇郡小谷村中土の大宮諏訪神社の薙鎌奉献祭が行われました。同祭は諏訪大社の御柱祭の前年に行われる神事。3回目となる下諏訪町からの薙鎌を知る会と下諏訪町木遣保存会も奉仕に参加。翌31日には北安曇郡小谷村戸土の小倉明神で薙鎌打ち神事が行われました。どちらの神事にも諏訪大社の平林成元宮司が参加しています。
平成21(2009)年9月9日にシンガーソングライター美咲の新曲「御柱」の発売が開始されました。
平成21(2009)年9月6日に諏訪地方観光連盟はシンセサイザー奏者の喜多朗氏を招いたトークイベントを諏訪市の御柱体験ひろばで開催。喜多朗氏は1998年にGAIA・ONBASHIRAというアルバムを発表している。
平成21(2009)年9月14日に諏訪地方観光連盟は諏訪市役所で御柱祭についての県内向け記者発表会を開催。引き続いて9月17日には東京都千代田区の日本記者クラブで県外向け記者発表会を開催。小宮祭での観光客受入が23神社と発表。年間観光消費額600億円の目標を掲げる。上社木落しに有料観覧席を初めて設ける事も発表。
平成21(2009)年9月23日に諏訪地方観光連盟は模擬御柱を神奈川県横浜市で開催されている横浜開港150年祭の会場に持ち込み、曳行を体験するイベントを開催しました。御柱祭inヒルサイドは諏訪市の氏子が参加し曳行体験を午前の午後の2回行いそれぞれ250人が参加し100mを1時間かけて楽しみました。それに先駆け21日には東京都六本木で富士見町の氏子が参加し御柱祭in赤坂サカスが行われました。こちらには下諏訪町から富部の長持ちも参加しました。
平成21(2009)年10月7日に諏訪市小和田の八剱神社斎館で諏訪市上諏訪地区奉賛会の結成総会が約100人が参加し開催された。規約や役員構成や予算などを決める。予算は約1500万円。
平成21(2009)年10月29日に下諏訪町東山田の有志と第七区御柱祭実行委員会が下社春宮東御宝殿の御用材を諏訪大社へ寄贈する奉納式を同町西弥生の金作木材貯木場で行う。御宝殿は里曳き祭前に完成予定。前回の御柱祭では春宮、秋宮、本宮の御宝殿の建て替えを行わず屋根のふき替えだけだった為、1998年以来の建て替えとなる。
平成21(2009)年11月7日より下社御柱用材の棚木場への仮搬出作業が開始。この作業は下諏訪町の六協と岡谷市のマルモリ宮坂土木のJVが担当し、19日には最初の御柱として秋宮一乃御柱が棚木場に到着。そして21日には8本全ての御柱が棚木場にそろい、仮搬出作業は終了しました。
平成21(2009)年11月21日に秋宮境内参集殿にて下諏訪町木遣り保存会が呼びかけた木遣りに関する平林宮司の講話を聞く会が行われ諏訪地方に9つある木遣り保存会全てから合わせて約90人が参加しました。
平成21(2009)年11月25日に有志が集まり来る29日に茅野市役所で行われる御柱検定に向けた勉強会が行われました。御柱検定は諏訪地方観光連盟が主催し御柱祭パンフレットを基に100問が出題され、その内8割以上の正解で合格というもの。そこでパンフレットを教材にした事前勉強会が行われました。
平成21(2009)年11月29日に諏訪地方観光連盟による初の御柱検定が茅野市役所で行われました。制限時間1時間30分、全100問の3択問題に148人が挑みました。合格基準は80パーセント以上。合格発表は12月初旬の予定。
平成21(2009)年12月2日に御柱祭下社三地区連絡会議(上諏訪、下諏訪、岡谷3地区の大総代38人、宮坂隆平会長)が秋宮で会見を開き、下社山出し祭の曳行予定時間を発表しました。木落としの日程は初日に春宮四と春宮三と秋宮二の3本、2日目は秋宮四と春宮一の2本、最終日は春宮二と秋宮三と秋宮一の3本と前回とほとんど同じ。また曳行時間遅れへの対策と安全面の配慮として午後5時以降の木落とし中止、木落とし坂上でのセレモニー時間(追掛綱が切れる状態になってから切るまでの時間)の30分制限、引き綱長さ最長150mの徹底、曳行間隔100m(前の御柱の追掛綱から後ろの御柱の旗持ちまでの距離)を目安などを講じるとのこと。
平成21(2009)年12月3日に諏訪地方観光連盟は御柱検定の結果を発表。受験者数148人中合格者は142人で合格率は95.9パーセント、平均点は93.1点だった。
平成21(2009)年12月5日に秋宮神楽殿にてa-moreが御柱祭をテーマにしたオリジナル曲を2曲、奉納演奏しました。いずれも仮タイトルで約束の丘と熱い想いというロック調の曲。大石ひろのりさん(32)と小西りゅうじさん(26)によるa-moreは11万治の石仏の歌である万治の風を下諏訪商工会議所の依頼で作詞作曲し、11月1日の石仏建立350周年祭で披露していました。
平成21(2009)年12月6日に諏訪大社大注連縄奉献会により諏訪大社下社秋宮神楽殿の大注連縄が掛け替えられました。この大注連縄は御柱祭の前年に掛け替えられています。大注連縄は長さ7.5m、胴回り4.5mという巨大な物。秋宮の正面としてで参拝客を迎えます。
平成21(2009)年12月6日に富士見町木遣り保存会と富士見町大総代会が主催する第8回富士見町木遣りコンクールが富士見町町民センターで行われました。富士見地区と東3地区(落合、境、本郷)に分けて行われ、大人28人、子供66人が参加しました。
平成21(2009)年12月12日に茅野市宮川の木落し公園の竣工式が行われました。同地は上社御柱街道の途中にある見せ場の1つ、木落し坂。茅野市が2006年から総工費約4億2400万円をかけて都市計画による公園整備事業として造成。平均傾斜約26度の坂の長さは従来の17メートルからほぼ倍の32メートルになりました。
平成21(2009)年12月19日までの予定で木落し坂下の砥川の観覧席確保のため瀬回し工事を下諏訪町御柱祭実行委員会が実施中。シート敷きで約2000席を確保出来る見通し。
平成21(2009)年12月15日に上社本宮で西御宝殿の御用材奉納奉告祭が行われました。奉納したのは木曽郡上松町の池田木材。22日には地鎮祭が行われる。
平成21(2009)年12月16日に下諏訪観光協会は下諏訪駅前広場の長野冬季五輪開会式で披露した御柱の建て直しを完了。1998年4月に駅前に建立以来2回目の修復となる今回は地中で腐食した2mを切り落とし、当初より3.5m短い9.5mとなった。
平成21(2009)年12月22日に上社西御宝殿の地鎮祭が行われました。縦横5.4メートル、高さ6.5メートルの茅葺きの建物である御宝殿ですが、前回の杉材から今回は檜とサワラをメインで建てられます。
平成21(2009)年12月25日に下諏訪町商工会議所青年部がオリジナルの御柱商品を発表。初めて実施した前回好評だったひょうたん型の飲み物入れとバックに加え法被をモチーフにしたリュックなどを販売します。
平成22(2010)年1月2日から上社本宮で抽籤祈願が始まりました。初日には原村・茅野市泉野、茅野市豊平・玉川、茅野市宮川・ちの、富士見町富士見・茅野市金沢、諏訪市四賀・豊田の5地区が正式参拝を行いました。今回は大総代会で事前に日程調整を行い、44日の期間中、原則1日5地区までとしました。
平成22(2010)年1月17日に秋宮参集殿において下諏訪町木遣り保存会の勢揃い式が行われました。小学生から80歳代までの男女75人で構成される同会員の内約60人が参加し、平林宮司から祈祷を受けたおんべを受け取りました。
平成22(2010)年1月19日に御柱祭実行委員会観覧席部会による木落し坂下の砂川河川敷の現地視察が行われました。ここには指定席3000席と自由席3000席。またステージも設ける計画。1月21日に部会が記者会見を開き、観覧席の販売方法などを発表する計画。
平成22(2010)年1月21日に下諏訪町御柱祭実行委員会観覧席部会が下諏訪町役場で記者会見を開き、下社山出し祭の木落し坂下の砂川河川敷などに設置する有料観覧席の販売方法と有料観覧席と無料観覧席の座席数などを発表しました。砂川の右岸に有料観覧席3000席、当日有料席200席、無料観覧席6200席が用意される。有料観覧席はA席からF席までの6ブロックに分けて販売。価格は1500円から4000円。2月1日から19日の期間に往復葉書で応募を受け付ける。応募多数の場合は抽籤を2月25日に行う。半分の1500席は地元枠とし、地元6市町村からの応募を優先する。問い合わせ先は下諏訪町御柱祭実行委員会(0266-27-1111)。また http://www.onbashira.jp にも概要を掲載の予定。
平成22(2010)年1月24日に第10回記念木やり日本一コンクール上社の部が茅野市民館マルチホールで開催されました。大人の部は17歳から86歳までの109人、子供の部に51人が出場。大人の部の最優秀賞は茅野市の神林守夫さん(62)が受賞。
平成22(2010)年1月27日に諏訪大社上社御柱祭安全対策実行委員会は上社山出し祭の木落しと川越しの日程を発表しました。山出し祭2日目の4月3日に本宮一、前宮一、本宮二、前宮二の4本が木落しされる。本宮一は午前10時に落とし、1時間毎に落としていく。3日目の4月4日は本宮三、前宮三、本宮四、前宮四の順に落とす。本宮三は午前10時の木落し。斜面の角度や硬さで安全面に心配があり、追い掛け綱の斧での切断による一気の木落しを禁止する。伝統的に斧での切断をしていた宮川・ちのと北山・米沢・湖東も同様。2日目に木落しした4本はその日の内に川越しも行い、御柱屋敷へ曳き着ける。
平成22(2010)年1月31日に第10回木やり日本一コンクール下社の部が下諏訪総合文化センターで開催されました。3歳から82歳までの全126人が大人の部に107人、子供の部に19人が出場。大人の部の最優秀賞は諏訪市の藤森国光さん(67)が受賞。